佐波々地祇神社

佐波々地祇神社

まるせろの入り口隣にある鳥居を3分ほど進むと、神社(佐波々地祇(さわわちぎ)神社)に行くことができます。竹林の隙間に敷かれた階段を上っていくと、そこには少しひんやりと透き通った空気が漂っています。

佐波々地祇神社

その始まり

その始まり

社伝によると、日本武尊(やまとたけるのみこと:古代日本の皇族で、熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的な英雄)が東国征討の帰途にこの地を過ぎて佐波神を拝し、祀ったことを創祀とします。元々は現社地の北西約4キロにある佐波山(上小津田字二田)に鎮座していたとされます。そこに大きな沢があったので、澤山(佐波山)といい、日本武尊の東国征討の際、佐波神を拝し、佐波山の妖蛇を斬り、塩原山山上に鏡を納めました(鏡塚)。

主な出来事

主な出来事

延暦20年(801年)9月には、坂上田村麻呂が佐波山に兵を休め、戦勝を祈願しました。その翌年、報賽のこと(祈願が成就したお礼に神仏に参ること・お礼参り)が行われました。永承年5年(1052年)8月には、源頼義が戦勝を祈願し、和歌を奉納。永禄12年(1569年)には、塩原山の山上に遷座し、その後、山腹の現社地に遷座したといいます。その後、明治7年(1874年)5月郷社に列したとされています。以前は、鳥居と同じく南を向いていましたが、昭和45年(1970年)、本殿を下に移築して、拝殿の横に並べました。『式内社調査報告』には、海(東方)に向かせるためとありますが、以前鎮座していた佐波山を背にするためじゃないかとも言われています。

社名について

社名について

拝殿の扁額(高い位置に掲出される額のことで、書かれている文字は多くの場合、その建物や寺社名です)には「佐波神社」とあり、本殿の扁額には「佐波大明神」とありますが、寛政8年4月の棟札(寺社などの建築記録/記念として、棟木・梁など建物内部の高所に取り付ける札)には「佐波波地祇神社」とあり、当社の正式名は「佐波々地祇神社」となります。

造り・祭神

造り・祭神

拝殿は入母屋造。本殿は流造。現在の祭神は天日方奇日方命(あまのひがたくしひがたのみこと)。

古民家まるせろでの祭事

古民家まるせろでの祭事

古くからこの神社と関わってきた古民家「まるせろ」では、毎年年末に集落の人たちや神主さんの協力のもとお祈りを含めた祭事を行っております。